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2011年6月30日 (木)

環境破壊後に起きる略奪戦争

世界人口の増加を阻止しようとしない先進国の政策が続くと、間違いなく環境破壊が起き、未来ではなくすでに現在も起きている。

エネルギーも自国で賄える政策に転換しないと、各国は自国の供給で手一杯になり、他国に出す余裕はなくなる。

最近の異常気象は、極冷、極暑にみられる様に、明らかに異常であり、一寸した要因で世界的作物の枯渇が起きうる。

今では、水に関しても、中国の資本家などが日本の源流の土地などを買い占めているが、日本の政府は見て見ぬふりである。

強国が、即ち軍事力と経済力を持つた国に、食料危機、エネルギー危機、が起きた場合、過去の歴史を見ると一目瞭然、何が起きるか、歴史は繰り返すという答えから明確に分かる。

強国は、過去に有ったように弱い国から、略奪するのが常であり、勝てば正義なのである。

このまま、地球に対する許容量を超えた、人口の増加を良しとすれば、間違いなく世界的規模で環境破壊が起き、食料、エネルギーの略奪戦争が起きるだろう。

日本の様な、エネルギーも無く、食料自給率も50%も無い国、しかも国防も他国任せで惚けている国など、よいカモである。

日本の政治家、頼むから、本気で日本の将来を考えてくれ。

原発の、再生可能エネルギー、もんじゅ計画。これは立派な計画だ。

軽々に判断せず、100年後の日本、世界を視野に入れ考えてほしい。

国防に関しても、竹島、尖閣列島、これが日本の領土でなくアメリカだったら、大変なことになるし、第一手も出さない。

国防の弱い国だと、相手にどんどんつけあがり、最後はすべて取られてしまう。

何度も言うが、国防、エネルギー自給、食料自給、この三点だけで良いから、日本の政治家に頑張ってもらいたい。

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2011年6月22日 (水)

目覚めた環境意識

津波と地震、後の放射線問題。

水が飲めないと、ペットボトルの水が姿を消す。

地震などの大きな自然災害に人間は、なす術が無いことが良く分かった筈だ。

自然現象の前では、人間の浅はかな知恵など、何の術も無い。

術が無ければどうすれば良いのか、それは昔から祖先がやってきた、自然との共存、調和である。

自然に勝とうとするのではなく、現象を受け入れ、利用するのである。

自然には原理原則があり、それに逆らわず、自然と共存する方法を、真剣に考えれば、これからの人間のすべきことが分かってくる筈である。

人間は、数億年掛かって創られた石油や石炭を、たったの数百年で使い果たそうとする動物なのである。

何が間違っているかは、分からなくてはいけない。

しかし、経済が支配する近代社会では、間違いが分かっていても暴走を続ける。

その暴走列車の旗を振るのが、一部の金持ちや、政治家なのである。

今やっと、ひどい自然破壊や放射能問題が出て、環境問題がテレビなどを賑わせている。

原発も、一度に中止などしては、二酸化炭素の急増や、有限な石油や石炭が一挙に枯渇してしまい、環境破壊にも繋がる。

マスコミも、環境意識を煽るのも良いが、本気で現実的に責任感を持って行動して欲しい。

原発に変わるエネルギーの具体策を早く立ち上げ、現実的な計画を立案してもらいたいものだ。

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2011年6月12日 (日)

自由の価値

日本は自由なくにである。

何を言っても、よほどの名誉毀損にならない限り自由である。

政治批判など言い放題である。

朝起きて何をしても良いのである。

こんな簡単なことだが、社会的生活を営む人間は、どうしても一部権力者が現れ、個人の自由を力で押さえ、奴隷化するのが世の常であった。

しかし、今は長い歴史、長い戦いの上、この人間として動物として自由に生きる権利が日本では得られたのである。

仕事を辞めようが、さぼろうが、個人の責任で出来るのである。

この自由の権利は、生きる上で一番大切なものだろう。

この権利を得るために先人達がどれほど苦労したことだろうか。

また、これを維持するためどうすれば良いのか。

朝起きて、自由である国に生まれて良かったとおもった。

しかし、この自由も、砂上の楼閣にも等しく、努力しなくては何時崩れるかもしれない。

国の自衛、食料の自給、エネルギーの自国運営、これは何事もなく優先せねばならない。

日本のマスコミは、もう少し自分達が言いたい放題出来るこの国の自由をどうしていけば維持できるか真剣に考えて欲しい。

生きる上で自由ほど不可欠なものはない。

この自由な国、日本が永遠に続いて欲しいものだ。

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2011年6月 6日 (月)

諸行無常と輪廻

麦藁帽子を被り空を見上げると、青空に雲が流れている。

雲はどれ一つ同じ形のものはなく、また常に形を変え最後は雨になり、雪になり、または空中に水分として消えていく。

まさに諸行無常であり、世の中には常のものは無いのである。

この今見上げる空に浮かぶ雲は、もしかしたら数日前に私が出した、吐息の水蒸気の一部がその雲の一部になったかも知れない。

また、数ヶ月後、今見ている雲が水滴となり、雨におなり周り回って、私の体を創る細胞になるかも知れない。

人間の細胞の60兆個は、数ヶ月で入れ替わるのだからそれが無いとは言えない。

そんな事は分かっていると、言われるかも知れないが、個とは、自我とはまか不思議である。

少し前に書いた、宇宙との一体感であるが、よく考えると素材的には自分の体は常に入れ替わり、個は物理的には無く、精神的のみ存在するのである。

いやはや、少し前に見上げた雲の水滴が、私の飲む水になるか、はたまたその水を飲んだ家畜を食するか、まさに輪廻である。

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2011年6月 5日 (日)

大人の分別

分別が無いとか、分別が有るとか言う。

私は分別が有る方だと思う。

この分別、常識があると言うか、適当に世渡りする処世術と言うのか、これが生きる事の本当の醍醐味、面白さにブレーキをかけている様に思える。

子供の頃、ほぼ100%で遊べたものである。

楽しいことに集中し、後先も考えず、遊びに集中出来たのだ。

これが、歳と共に後先の事を考え、何事も中途半端になる。

明日の仕事、体の疲れ、お金のこと、こんな事が少しでも頭をよぎると、100%は遊べない。

自然の生きる動物も、子供の似て、生きることに全て100%を使わなくては、生存できない。

一瞬一瞬が、生きる事であり、何時死んでも常にそれを受け入れるのが、自然に生きる生命なのである。

自然の中に生きるもの達の生きる喜びとは、その一瞬を生きている事が出来ると言う喜びなのである。

私の生きる喜びに対する喜びのメーターは、その分別が故にほんの少ししか振れない様である。

子供の頃に時間がなかなか経たないと思うのは、このせいもあるのかも知れない。

まさに、時間の経つのを忘れ、泥だらけになり遊んだあの純粋さが欲しいものである。

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2011年6月 4日 (土)

放射線の破壊力

原子力発電の事故による放射脳の影響が危惧されている。

放射能のの毒とは、遺伝子の破壊による影響である。

放射線と言っても知っての通り色々あるが、我々の体の中を何時も放射線が数億の単位で通り抜けているなかで、どうもこの放射線は遺伝子を傷つける悪いやつなのだ。

弱い放射能でも、破壊力のあるウランによる放射線は、体を通過する時に遺伝子を傷つけたり、切ってしまうのだ。

勿論強い放射能の場合、細胞その物を破壊し、即座に死に致しめるのである。

目に見えない放射線が、細胞を通り抜けるときに破壊される遺伝子は、子供に対して影響力が強い。

それはまだ細胞分裂が活発で、不良コピー、即ち癌細胞の発生リスクが多いのである。

子供達に放射線数値は、やはり低くしなければならないのである。

政治家諸君は、政治ゲームをやっている場合じゃあありません。

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