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2011年7月31日 (日)

神経細胞の寿命

脳にある神経細胞の寿命は、120年だそうである。

細胞と聞くと、どうしても数ヶ月の寿命と思うのだが、なんと120年も生き続けるのである。

確かに、そうやたらに脳の細胞が入れ替わられたら、記憶もなく別の人物になるかも知れない。

人間の体は60兆個の細胞で出来上がっているのだが、元々は単細胞生物の寄せ集めであり、厳密に言えばその一つ一つの生命でもあるのだ。

故にこの単細胞的にみて、120年の命とは、すごいものだ。

またある意味、脳を自分自身の自我と仮定するなら、医学が進歩しいくら体が長生きをしても、自分の自我は120年すれば終わりとなるのである。

しかし、どうすれば単細胞が120年も生きられるのか、この謎が解ければ、人間の細胞の寿命を長くし、とんでもない長生きが出来るようになるかもしれない。

宇宙も広いが、ミクロの細胞の世界も奥が深い。

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2011年7月22日 (金)

時の単位

時間というものがある。

一年365日、地球が太陽を一回まわるのを一年、その間に地球が365回自転する。

一日を24時間とし、一時間を60分、一分を60秒としている。

これは人間が、便利上創った単位であり、ただの物差しである。

人間は長い時間とか、短い時間と言うが、現実には時間と言うものはどこにもないのである。

人間が名付けた時間というのは抽象であり形がないのである。

百年生きて、36500日である。これは、地球が36500回自転したということで、時間が経った訳ではない。

時間とは物質の動く起点と経過点であり、線のようなもので繋がるものではない。

点と点である。

点とは位置を示すものであり、数学上創られた面積もないゼロで示される。

しかし、現実、何時も時間を意識しながら生きるのが常である。

何故時計を見るのか、ある意味時計とは、自分の死までを刻む予定表のようなものだが、現代社会では、常に時計を見ている。

しかし、数学的には、時間がなくては、遠い宇宙にロケットを正確に飛ばせない。

時間と言う発明は、やっかいだが、どうやらこれが出来て、人類の発展が始まったように思える。

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2011年7月18日 (月)

人を育てる心

日本はどうしたのだろう。

日本の政治は、まったく機能していない。

一寸昔の時代なら、国内なら革命、国外なら日本を侵略する好機である。

米国による戦後教育、左翼勢力によるやりたい放題の教育現場への侵染。

この教育の荒廃が、現在の日本を招いたのだろうか。

慎ましい生活、謙虚さ、武士道、日本の美徳がどんどん失われている。

その反日本人らしさの代表が、総理大臣であってはならない。

こんな世に誰がしたと、言ったところで仕方あるまい。

では、今後どう生きるか。

日本人が、欧米の様に個人主義でなく、助け合う心を持ち、経営者も、ほんの少しずつでもいいから、そろばんをはじくのをやめて、人を育てる心を持ってもらいたい。

企業も、社会的責任を担った、協調性のある日本的社会こそ、日本にふさわしいのではないのだろうか。

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2011年7月12日 (火)

原発と節電死

原発の再稼働の遅れにより、全国的に節電を余儀なくされ今夏が猛暑になれば、高齢者による熱中症による死者が続出する可能性がある。

私は此こそ政府の責任であり、この死を節電死と呼びたい。

管総理大臣は、もしこの原発再起動の遅れによる死者が多発した場合どう責任を取るのだろうか。

死者に対しては、いくらすいませんと言って謝っても取り返しはつかない。

おそらく彼は、仕方ないとか、色々理屈を付けるだろうが、節電による死者に対しての責任から逃げることは出来ない。

早急の原発再開を、政府が指導していかなければ、上に記した事は現実に起こる。

マスコミの方々も、よく考えて世論をリードして欲しい。

反原発とか、言っている場合ではない。すぐそこにこの人災が待ち受けている。

私のこの訴えが、世に通る事を祈る。

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2011年7月 8日 (金)

自然界の共存

山道を歩いていてふと気付いた。

周りの木々や草花が、何十種類もあり、全ての個体がバランス良く植わっているのだ。

湿度の多い所には苔とかシダがあり、竹、松、栗、等々、皆バランス良く植わっている。

昆虫もしたり、蟻、蜻蛉、蜂、蝶々、これもバランス良く生きている。

地球に生きる生命体は、何も教わること無く、自然に共存しバランスをとっているようなのである。

しかるに、何故、一番賢いと思い上がっている人間には、このバランス感覚が欠損しているのであろうか。

人間は理論的には、いずれ遠くない内に、自然界のバランスを保つという絶対的原則に従い滅亡する可能性が高いのだが、どうしてそれが分かっていて、改善できないのであろうか。

冬に何もなかった土の上に、バランス良く生えてくる植物を見るにつけ、ほとほと人間の傲慢さを感じた。

共存と言う言葉を、真面目に考えて、生きていきたいものである。

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