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2011年10月28日 (金)

人を育てる

終身雇用と言う言葉がある。

今や何だか遠い昔の言葉のように思えてくる。

しかし、戦後の経済発展は、この終身雇用という日本の安心して会社のために働き、会社は一生面倒をみてくれるという事で、社員と会社が一体となって頑張ってきたのだ。

会社と社員は一体であり、経営が苦しいからといって簡単に解雇したりせず、又雇うときもその人間を一生めんどうみる積もりで雇ったのだ。

だから、おしなべて良い社員が育ったのだ。

アメリカなんぞは、潰れかけた会社の重役が、とんでもない数十億の給与を取り、自家用ジェットを乗り回すが、日本ではありえないかったのだ。

ところが、誰が言い出したか、人を物あつかいする社会を良しとして、あっと言う間にこのような、人が育たない国になりつつなっている。

何度も言うが、公の場でどうして一番じゃあ駄目なんですかなどと、クラリオンガールあがりの大臣が言う世の中では、どうしようもないのかも知れない。

だが、このまま放っておいては、日本は衰退するばかりである。

日本の経営者の、もう一つ我慢する心を持って、社員を大切にして欲しい。

政治に無関心と言っていては、本当に自分にその付けが回って来る、今は本当に日本の転換期なのかも知れない。

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2011年10月20日 (木)

一生

秋の夕暮れ時、暖かい日和に小さな虫たちが、空に舞っている。

散歩する道には、死んだ虫が至る所で転がっていた。

この虫たちにも、一生がある。

卵から孵った小さな虫は、それぞれが決して同じ運命をたどることなく、それぞれの一生を全うして死んでいく。

それは、人間だけではなく、世に生まれた全ての生命は違った一生をおくり、卵から生まれた瞬間から、それぞれが試行錯誤し、地球の中で生き抜いていくのである。

この道ばたに死んでいる、カマキリは、いったいどこで生まれ、どんな草むらや木々の中を歩み、だれと戦い、だれとまぐあい死んで逝ったのだろうか。

カマキリには、彼なりの一生があるのだ。

よく人間は、特別な生き物だと言う輩がいるが、おそらく生から死と言うこの生命のひと時の煌めきは、何の変わりもない同じものだろう。

ただ、野に生きるものは、人間の様に女々しくはない。

あるがままに生きる、野生の心が欲しいものだ。

どうも人間は、生きることに意味を持たせがり、一生を難しくしている様に思える。

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2011年10月18日 (火)

世の中、捨てたもんじゃない。

世の中、捨てたもんじゃない。

ある映画の歌の台詞であった。だから夢を持とうと言うのである。

確かに、よく周りを見れば、良い人間もいるし、それなりに幸せに暮らしている。

多くを望まなければ、捨てたもんじゃ無いかも知れない。

私の場合は、確かにそうだ、確かに捨てたもんじゃない、もう少し頑張るかとか思うのだが。

日本人に限って言えば、ちょっと抜けているいるくらい、危機感がないので、今の現状で充分幸せなのかもしれない。

特に若い世代の者は、定職に就かずその日暮らしで良しとする者が増え、結婚という責任が伴う行為も嫌われがちである。

世の中捨てたもんじゃないので、若者には頑張ってもらいたいのだが、どうも、その日暮らしの生活を求める者が多い様である。

我々大人にも責任あるのだが、若者に夢を持ってもらえる世にしたいものだ。

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2011年10月14日 (金)

日本のリーダー

日本のリーダーが頼りない。

リーダーだけではない、テレビを見ると、訳の分からないお笑い芸人や、タレントと呼ばれる連中が国の行政を批判しあたかも専門家のように話しては、それを司会者がさすがですとはやし立てている。

今は、女装タレントとかが流行るらしく、大きな男が女装し、汚い罵声を上げてそれが良いらしく、よく対話番組などでまことしやかに話している。

世の中、まともな人間は、相手にされないのだろうか。

キリスト教だったか、悦楽の町狂喜の町があり、欲望に走り滅ぶ町があったが、あの、おかしげな人種が、マスコミを席巻し、それを良しとする世間を見ていると、まるで同じものを見ている様に思える。

あの人は、真面目で面白くない。

何を言うのだ、真面目な人がいなくては、世の中は駄目になるし、なりたたない。

真面目でおとなしい人は、我慢強いし言葉も少ない人が多い。

頼むから、あのような女装男やおかま、お笑いタレントの意見が、世の意見だとするのは止めて欲しいものだ。

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2011年10月 7日 (金)

人生の成功者

人生の成功者とは、どんな人を言うのだろうか。

動物的に見れば簡単で、美味しい物をよく食べ、多くのメスを扶養し、社会的地位を獲得すれば、多分一応成功者と言うのかも知れない。

しかし、人間は複雑で、物理的にいくら豊かであっても、決して幸せではなく、どう見ても幸せな生活を送っている様に見えても自殺したり、不幸であったりするのである。

それでは非動物的成功者とはどんな者なのだろうか。

乞食の様なボロをまとい、粗末な食をし、悟りを開いたヨガの達人や修行僧なのだろうか。

人は生まれ、数十年の間生きるのだが、何を目指して生きるのだろうか。

まあ、ひとつ分かっているのは、死を目指していることだが、他に何かを見つけて目指して生き、そこに到達出来れば成功者なのだろう。

しかし、多分、人は動物的と非動物的な精神状態の狭間で迷い、あたふたとするのだろう。

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2011年10月 6日 (木)

もったいないと罰

もったいないとバチは、昔はよく使った言葉だが、近頃ではあまり聞かなくなった。

もったいないことをすると、バチが当たるよ、と言うのが大人の口癖であった。

物を大切にしないと、自分に悪いことがおきる、天の神様には全てがお見通しで、悪いことは出来ない。

一昔の子供たちは、本当に信じていたので、誰も見ていなくても、バチが当たるのを恐れていたが、もう誰もそんな事を言う者もいなくなった。

バチには、法律もなく、ある種の道徳観念だから、守らなくても良いと思うのだろうが、実はこれが日本人らしさや日本人の素晴らしいところだった。

ある国では、列に並ぶことを国が教えなければその意味さえ分からないと言うのだ。

つい最近まで、当たり前だった、このもったいないとバチと言う言葉だが、是非日本人として伝承していきたいものだ。

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