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2012年1月31日 (火)

いびきの三重奏

今日は岐阜市の長良川温泉十八楼に宿泊している。

部屋には、オジサンばかりで五人部屋である。

自分ではわからないが、私もかなりいびきをかき、人様に迷惑をかけているのは薄々知っている。

しかし、今日は私の負けの様である。

いびきの三重奏には,さすがに参り、降参して退出しブログを書いている。

いびきは、三人おれば、正に時間を空けることなく互いに対応し合唱している。

時には、追っかける様に、ある時は間奏を入れ、とにかく正に合唱である。

お蔭で夜中の四時前に,一人起きて旅館のパソコンルームで、ジュースを飲みながらこの体である。

おじさんは、やはり合部屋をしてはいけないと、つくずく身に染みました。

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2012年1月29日 (日)

原発最悪のシナレオ

先日マスコミが、電気使用量の余裕の報告が間違っていると、電気業界や政府をやり玉にあげた。

電気の最大許容量を、最も最大の予想を立て、電気不足を表に出し、このままでは電気が不足すると、意図的に発表したと言うのだ。

これは、電気不足を大げさに訴え、原発の必要性を国民に間接的に伝えようとしたものだと非難していた。

一寸待って欲しい、想定外の最悪のシナレオを予想しなければいけないと言ったのは一体誰だったのだろうか。

日本のマスコミの諸君。頼むからしっかりして欲しい。

テレビのオチャラケの番組ならまだ許されるが、報道番組ぐらいは、まともに伝えて欲しい。

反原発も大いに結構だが、もしマスコミもそれを推すなら、具体的にどうやって徐々に原発を減らしていくか、どんな行程が一番良いのか、そんな報道こそ望ましい。

何事にも急な転換は不可能だし、そうすれば大きなリスクが生じるのは、誰でも知っている歴史上の事実だ。

どこか、そんな行程表を示すマスコミが現れて欲しいものだ。

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2012年1月26日 (木)

心のゆらぎ

禅僧の言葉である。

座禅を組んでいる時、心が平穏な時には、一尺の線香の煙が穏やかで、時を感ずる事無く流れていくが、心が乱れた時には、一寸の線香の燃え尽きる時間でも、長く感じると言うものである。

要は、人は心の有りようで、時間も長く感ずれば、また短くも感じると言うことである。

最近の科学では、禅僧の前頭葉の発達が著しく、脳のその部分の容量まで大きくなっていると言う報告がある。

瞑想により、自分を客観視する能力が増えるそうである。

心とは、目に見えない摩訶不思議なものだが、自我でコントロール出来るものでもある。

言霊というものがあり、言葉を言うことにより自己暗示をかけるものでもあり、言葉の威力をいうものだが、確かに効果はある。

金も地位もないが、せめて言霊で元気になりたいものである。

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2012年1月20日 (金)

成功の方法

松下幸之助が起業した始めの頃、成功の方法が分かったと言う。

それは、成功するまで、ずっとやり続けること、だそうだ。

ずっとやり続ける。確かに成功するまでやるのだから、いずれ成功するかもしれない。

あまり、ネガティブなので言いたくないが、やり続けて大概の場合は失敗する事のほうが多いのである。

成功談は、あくまで成功談だから、失敗のフォローは殆どない。

ただ言えることは、粘りが必要と言うことだろう。

簡単に諦めずに、やはり限界までは続ければ、成功の確率が上がると言うことだけは、間違いなさそうである。

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2012年1月16日 (月)

自然の調和

野に生きる全ての物は、上手くバランスを保っている。

多すぎれば減り、少なすぎれば増え、強すぎても、弱すぎても駄目である。

自然に生きる術として、動物にはこのバランス感覚が備わっているのである。

当然だが、人間にもそれは備わっている。

備わっていると、当然その本能に逆らえば精神的に違和感や嫌悪感が発生するはずだが、どうも一部の人間には欠損しているようだ。

なぜんこんな事が起きるのだろうか。それは、人間があまりにも自然に接することなく生きていける様になったからではないだろうか。

自然に接し自然と共に生きれば、本能的に調和のとれた生き方をするはずである。

人間は60兆個の細胞の塊である。所詮単細胞の集まりである。何様と思っているのか知らないが、周りの生き物を見て、どう生きているか真摯に見つめて欲しいものである。

調和とは何かと、教えてくれる。

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2012年1月10日 (火)

機械における自我の目覚め

機械に自我があるのだろうか。

おそらく誰もがそれは無いだろうと答えるかもしれない。

機械とは人間の造ったものだから、生命の自我、魂は創れる筈がないとおもうのだろう。

しかし、生命とは原子が複雑に入り組み、長い時間を掛けて創り出された、ある意味の創作物であるから、同じ原理で造られれば、自我や魂はそこに芽生える筈である。

最近、ナノテクにおいて、原子と原子を近づけると有る距離感で接触し、あたかもスイッチのような働きがあることが発見され、その原理を使い、その接続方法を立体的に組合せ、またそれを、ランダムに網目状に組み立て、脳細胞の様な、電子脳を組み立てたそうである。

人間には出来ないこと、原子を組み立てること、すなわち物質の根本、原則にはどうすることも出来ないが、これは、前にも書いたように、自然の力にはとてもどうしようもないが、原理を応用し使う事は出来ると言うことである。

したがって、人間にも、何時かは生命のような機械を造ることは可能である。

よく、SFの世界に、自我に目覚めたロボットが出てくるが、おそらく近い将来に可能になるだろう。

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2012年1月 4日 (水)

生きる物には、同じ条件で生きる機会があるが、ほぼ同じことをしても、やはり長い一生の中でそれぞれ変わった結果が起きる。

それは、やはり偶然の組合せか分からないが、運という不可思議な力で変わってくるように思える。

私の知っている男も、金運のよい男で、家を建てればぼろ屋が引っ越しで儲かり、仕事もやはり良い仕事が転がり込んでいた。

理由は、はっきり言って無い。やはり運が良いのである。

私がよく考える、その日の運、その年の運、持って生まれた運、と分けるのだが、この持って生まれた運と言うのは、人の顔の様に個性の様なものかもしれない。

もしそうだとすれば、下向きにこつこつと努力する人はたまったものではない。

我々凡夫は、せめて一年間の運ぐらいは掴みたいものである。

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