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2012年5月29日 (火)

貧乏の楽しさ

貧乏と言っても色々程度があるが、程々の貧乏は、過去を顧みてもなかなか楽しい思い出が多い様な気がする。

貧乏な時の、諦めの心かどうか分からないが、笑顔が多々あったのではないか。

半分諦めたとき、一寸したラッキーが、いつもよりより大きく感じ、嬉しさもより大きく感じることが出来ていたのではないか。

ある意味、中途半端な金持ちより、楽しい生活が送れるのかもしれない。

それに、周りに寄ってくる人間が、明らかに金目当てでなく、むしろ優しさ、同情、哀れみと言った、純粋な心に触れる機会が増えるからかもしれない。

また、そもそも金を儲けようとすると、よく働き、他人を踏みつけ、他人を使い、とにかく純粋な心でいては、とても出来ない。

程々の貧乏なら、他人を騙すこともなく、守る財産もなく、気楽に生きていける。

これが、楽しいのかもしれない。

ひとつの即席ラーメンを、二人ですすり、あの美味かったこと・・・・

これも、人生を生きる、一手かもしれない。

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2012年5月17日 (木)

人生の満足感

自分もだが,おそらく大概の者は今の自分の状況をベストだとは思っていない。

テレビで若者が、自分の人生を変えてはどうか、今の生き方は充分ではないのではないかと、アフリカに行き、原住民に彼らの人生観を問いかける。

すると、一見貧しそうな原住民は、今の生活がベストだという。

人生の幸不幸は、感性であると言った正にその例である。

つまり、今の生き方をどう思うかで幸不幸が決まると言うことなのだ。

しかし、テレビをつければ、セレブとか贅沢な暮らしを流し、まあ、目に毒なものばかりで、これではなかなか満足感は得られない。

それなりの生活をしていても、いつの間にか比べてしまうかもしれない。

見なければ、知らなければ幸せの世界である。

私も今の生活が、ベストであると、いつの日か心から言ってみたいものである。

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2012年5月 7日 (月)

個と自我

個とは、この世にある全ての個体であり、全て異なる形をしている。

自我とは、他と異なる行動をする判断をする意思を持つ行為である。

燕や雀が電線で、何かピイチクパアチク鳴いているのを、人間は、あれはただ鳴いているだけで、何も意味を介さないというが、どうみても何かを言っている様に見える。

人間は、分からないものは、全てゼロにしようと思い込むようだ。

世に生きる生命体は、全て同じ行動することは理論的にむりである。

それは生命体で有る前に個であるからである。

しかし、自我が生命体とリンクしている以上、生命体の崩壊とともに自我が失われる。

魂というものと自我は、どういう関係なのだろうか。

一度、魂とやらを見てみたいものである。

尤も、自我というのも目には見えない。

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2012年5月 3日 (木)

腸内細菌

前にも書いたが、腸内細菌は10兆個、重さにして1~1,5キロあるそうである。

その種類は1000種とも言われ、正確にはまだ分からないそうだ。

それにしても、一キロいえばペットボトル1000ミリリットルである。少々腹の出かけた小生の腹周りにしても、かなりの量である。

まあ、排便の内2~30%がその菌らしいが、それにしても結構な量だ。

その菌も善玉の悪玉があり、そのバランスにより腹具合の調子が決まると言うことである。

しかし、人体、生命体と言うものは、私の即ち自我の知らないうちに、本当に上手く管理されているものだ。

生命体が生きると言うことは、本当に奇跡のバランスであり、何か一つ狂うとたちまち60兆の体型が維持できなくなり死んでしまう。

生きると言うことは、有り難いことだが、ついついその有り難さを忘れるので、互いに気を付けたいものである。

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