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2012年6月29日 (金)

世界を救う人工光合成

世界の中で日本の人工光合成の開発が群を抜いているそうである。

人工光合成で何が出来るかと言うと。

光により、水を分解し水素を創り出す。

水素は、勿論エネルギーになり、しかも燃やせば水と言ったクリーンエネルギーだ。

また一方、光により、二酸化炭素と水で炭水化物、すなわち食料を創り出すのである。

その研究が日本がナンバーワンなんだそうである。

今の政治は、まさに最低だが、これは、人類、世界に対する福音である。

これが実用化すれば、二酸化炭素問題、エネルギー問題を同時に解決する、救世主である。

日本の科学者には、本当に頑張って欲しい気持ちと、感謝の気持ちで一杯である。

政治家、特に小沢、あなたは、日本の癌以外の何者でもない。

早く、良い政治を取り戻し、良い日本にして欲しいものである。

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2012年6月22日 (金)

富士山の噴火

富士山は何時噴火してもおかしくないと、科学者は言っている。

富士山は死火山でないのだから、当たり前のことなのだが、どうしてか、噴火しないものだとおおかたの者は思っている。

日本人は火山国で生活し生き抜いてきた遺伝子のせいか、心配してもどうもならいと思い、楽天的に考えるのかもしれない。

確かに、日本を脱出する以外、この不安は無くならない。だからここに生きる以上楽天的にならざるえないのかもしれない。

しかし、放射能に関しては、以上に神経質である。

私は広島に生まれ、原爆を生き抜いた人の話をよく聞いていたが、原爆が落ち、落ち着くと、殆どの人は町に帰り、土には野菜を植え、食べていた。

先日長崎の人とも話したのだが、やはり大げさ過ぎるとの同意見である。

放射能は危険だが、マスコミは明らかに、はやしたてている。

日本はエネルギー小国で、原子力は、今現在絶対に必要なものである。

将来的には、太陽の力を頂くにしても、今はやもおえない。

富士山の噴火の様に、大らかな気持ちもないと、日本では生きていけないのかもしれない。

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2012年6月21日 (木)

太陽と生命力

人類は文明らしきものが生まれて以来、太陽を神と崇めてきた。

太陽は確かに殆どの、生命のエネルギーの源である。

化石燃料は、昔太陽光で育った植物の遺物であり、太陽エネルギーその物である。

地球に存在する殆どの生命体は、太陽エネルギー無しでは生きてはいけない。

科学の発達していない原始人にも、太陽の力は理解出来、太陽を神の崇めるのは当然の様に思える。

雨の日の続く日には、やはり元気が出ない。

晴れれば、やはり元気が出るし、体の調子も良い。

太陽は、水素が核融合しヘリュウムになるエネルギーにより、燃えているのだが、ただそれだけには思えない。

空を見上げてみる太陽は、確かに私に元気を与えてくれている様に思える。

梅雨だから仕方ないが、やはり晴れた日が気持ち良い。

私も、やはり地球上に棲む太陽に生命力を貰っている動物なのだろう。

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2012年6月19日 (火)

若者の時間

若い時の時間は、本当に大切にして欲しい。

失敗の許される時、やり直しの出来る時、これが若者の特権である。

しかし、近頃は、ゲームに時間を費やし、いろいろ試したり、体験をする若者が減っている様に思える。

若い内は、いろいろ挑戦し、燃え尽きて欲しい。

例えそれが、どんなに他人がつまらない事だと思っていても、それに打ち込んで欲しい。

失敗もこれ経験、成功も勿論大切だが、殆どの者は失敗するのが当たり前で、これこそ若者の特権なのだ。

こんな良い時期に、仮想ゲームをする時間など、実におしい時間である。

出来るだけ実体験し、本当のゲームをして欲しい。

これこそ本当に面白いゲームであり、素晴らしい体験や、今後の糧になるのである。

若い内は、泣いて、怒って、笑って、血を流し、色々やって、楽しんで欲しいものだ。

バーチャルゲームをする時間は、実に勿体ない時間である。

ただ散歩するだけでも、体を使い動けば何かを体験出来る。

若きこの時間を大切に使ってもらいたいものです。

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2012年6月17日 (日)

永遠のもの

永遠のものを人は欲しがるものです。

ずっと変わらない愛、とか。

信じられるもの、変わらないものが欲しいのだと思います。

それは、ちょうど、海にで迷った船が、灯台の灯りを目指すのに似ています。

灯台の様に、何時も変わらずそこにいて、迷ったときに、そこを目指せば良いように、じっとしていて欲しいのです。

しかし、宇宙が始まり、この世が出来たのは、無から変化があり、変化があったから、有が生まれたのです。

だから、この世には、永遠なものは無さそうでです。

ましてや、人の生き死に、人の心など、変わらないはず、ありませんね。

百花繚乱、色々に生きるのがこの世に生きるものの定めでしょう。

永遠に変わらないもの・・・・探し当ててみたいものです。

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2012年6月16日 (土)

ホタルの川

私の住んでいる家のすぐ近くに、ホタルの飛ぶ小さな川がある。

毎年、6月になると、梅雨の雨が止んだ夜、川面を淡い光で楽しませてくれる。

今年も、先日、晴れた夜に散歩し、その姿を見せてもらった。

しかし、この川も、数年に一度、小さな重機が入り、大きくなった葦や、セリを根こそぎはぎ取り、平らな川にしてしまう。

これが、治水の為によいのだそうである。

ご存じのように、葦などの、水の浄化能力は、重金属まで浄化する能力を持っており、また自然に生きる動物達の、必需植物である。

これが、役所の者には、やっかいなゴミに見えるようだ。

現代科学では、確かに水を浄化する機械もあるが、植物の能力より勝とは思わない。

前にも書いたが、人間で60兆個の細胞があり、それが精密にバランスをとり、人間という生命体を維持している。

葦の細胞数が幾らかは知らないが、その細胞数はおそらくやはり数兆個であろう。

だから、どう考えても人間がこれより優れた精密機械を創れるとは思えない。

しかし、葦では、経済が、即ち金が動かない。

川の工事で、土木屋さんは儲かるのは悪いとは思わないが、出来れば、役人も、もう少し知恵を働かせて、自然を守ることと両立する金儲けをしてもらいたいものである。

自然を大切にする心を育むとは、野に生きる植物や動物を傷つけた時、素直に「あー悪いことをしたと」思える心を育むことである。

現代社会では、お金なしでは生きられないが、お金で表せないものも、大切にしたいものだ。

出来れば、いつまでもホタルの飛ぶ川であってほしいものだ。

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2012年6月10日 (日)

アメリカの危機管理

アメリカの危機管理能力は、あるゆる想定を元に、国を守るため、国民を守るための生かされているようだ。

原発事故にしても、仮説をたて、それにどう備えるか具体的に準備している。

そのさえたるものが、ディープインパクト計画である。

地球に彗星が、すなわち大きな流れ星が、数百年又は数万年、数千万年の内に大きな破壊的な流れ星が落ちてくる。

現代の科学で、大きな彗星の軌道を予測し、地球に衝突すると判明した場合、それに対処するする計画がそれである。

そのために、実験的にロケットを飛ばし、ある彗星に目がけ目的物を衝突させ軌道を変えるというものである。

大変なお金と、科学力がいるのだが、それを惜しまず使っている。

危機管理とはこういうものなのだろう。

それに引き替え、日本は、エネルギー、食料、防衛、国の三原則さえ100%とではない。

食料自給は50%さえ危ないが、何時でも人の良い外国人が食料を売ってくれると思い込んでる。世界的飢饉が起これば、だれも売ってはくれない。

エネルギーは、原発の再稼働でもたついているが、石油のない国で、今現在、原発以外の選択枝はなく、早く稼働しないと日本経済は取り返しのつかない空洞化が始まり、立ち直れなくなるつつある。

例え、廃炉にするにしろ、徐々に行い、確実なエネルギー源を担保しつつ、安価なエネルギーを供給しなくては日本の将来はない。今取りざたされている核燃料再利用計画のモンジュの廃止は、もっての他である。

防衛についても、未だにアメリカに進駐されて、各基地にアメリカ軍がいるようでは、自立国家とはいえない。

危機管理、あらゆる危機を想定しなければいけないのだが、想定外でしたと、政治家の口からは聞きたくないものである。

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2012年6月 5日 (火)

日本力は人力

資源のない日本。

国際競争に勝つためには、人間の力、人間力しかない。

その人材を育むのが、我々の責任である。

しかるに、今の若者達は、フリーターなどと言い、無職の者が増え、企業も目先の利潤を追い、将来の日本を見据え、我慢しようという気概が見られない。

日本の生き残る選択肢は、人材を育て、世界にその技術力で勝つしかないのだ。

かなり遅れてきたが、まだ余力がある内に、若者を育てる方向に、ベクトルを大いに変えなくてはいけない。

情けない政治家だらけだが、まだ間に合う。

メイドインジャパン。世界一の品質。これを忘れてはいけない。

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2012年6月 3日 (日)

隙間だらけの体

人間の細胞の数は、60兆個だそうである。

その細胞は、タンパク質で出来ていて、そのタンパク質は、分子で出来、その分子は、原子で出来という風に、最後は素粒子まで行き着くのだが、その素粒子で見た世界が、実に隙間だらけである。

例えば、水素一個の原子を地球の大きさに例えると、原子核が野球場の大きさで、電子がボールの大きさだと言うのである。

また、ニュウトリノや、ダークマターと呼ばれる未知の素粒子などは、一秒の間に数億個が体をすり抜けているのだそうだ。

前に記した様に、隙間だらけなのだから、当然と言えば当然である。

しかし、数でいえば、人間としての、固体の原子の数は、ある意味天文学的数になるのだが、それでもやはり、隙間だらけなのは間違いない。

隙間だらけの中に自我がある。

本当に一体自分とは何なのだろうか、生命体とは何なのだろうか摩訶不思議なのこの世である。

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