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2012年7月29日 (日)

朝の散歩

夏の早朝の散歩は、気持ちよいものだ。

昨晩遅く、いや未明に雨が降ったので、周りの木々も艶やかで気持ちよさそうである。

素晴らしい世界、ワッタアーワンダフルワールドである。

生きる意味など難しいが、ただ、気持ちよく、すがすがしければ、これが生きる意味なのかもしれない。

しかし、夏に咲く花は、鮮やかで綺麗だが、やはり夏に似合った色のようである。

私は8月生まれなので、夏は好きなのだが、最近のこの暑さには、つい、一寸、もう一寸気温を下げてもらえないかと思う。

だが、朝の内は、大丈夫なので、皆さんも時間が有れば6時くらいならば、気持ち良く散歩出来る。

その頃になくひぐらしの鳴く声は、さわやかである。

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2012年7月24日 (火)

宇宙の水

地球の水の大部分が、彗星の水らしい。

まあ、地球も宇宙の一部だから珍しくもないが、彗星の殆どの成分は水であり、また、その中には有機物、即ち、分子が同士が付いた簡単な構造分子が含まれているそうである。

となると、もしかしたら、私の元々は、宇宙を飛び回っていた、あの彗星だったかもしれないのである。

昔、身内が死ぬと、子供にお母さんは、あの星になったのよ、などといっていたが、まんざら嘘ではないのかもしれない。

しかし、我が肉体もいずれ朽ち果て、バラバラになり何かの一部になるのだろうが、いったい何になるのやら。

ただ、わかっているのは、あの始皇帝も私も、最初と最後は同じであることだ。

水道の水を飲むとき、彗星の水と、味わって呑む?ことにしよう。

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2012年7月20日 (金)

橋下君の言い訳

橋下君が、テレビに出て何やら言い訳をしていた。

浮気をして、コスプレイとか何とか言っていた。

早い話が、政治家は万人のために何かをしてくれれば、個人のことはどうでも良いので、マスコミ向けに、謝罪しているのだろうが、おそらく妻にばれたのいが、一番の反省点だろう。

ただ、彼は職員に対し、品行方正なことをいっていたので、示しはやはり、今までのようにはつかないだろう。

私、個人的には、彼らしくて良いと思うのだが、彼は最近、国家権力に色気が出て、彼本来らしくない、原発中止など言っていたのが、虚しく感じる。

彼は世論やマスコミに迎合しないのが、彼らしく、それが魅力だつたので、何やら、何とか塾など形成し国家議員を産出するなどとは、やはり彼らしくない。

気持ちは分かるが、彼は坂本龍馬にはなれないし、タイプでもない。

命がけとは、もっと重いものである。

私は彼には、大阪市長で大いに頑張って欲しいと思う。

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2012年7月16日 (月)

イジメという犯罪

日本では、恐喝、集団動力行為、強要罪、その他色々あるが、これが学校内で行われると、イジメという、訳の分からない責任のない曖昧な言葉で表される。

外国で、はっきり罪として学校も対処するのが原則だそうだ。

日本のマスコミも良くない。

やたらと、やはり、子供がいじめられられてとか、曖昧な表現で報道する。

イジメは、もっとはっきりと犯罪だと、子供達に伝え、また親にも、謝ってすむものではなく、犯罪だと認識させなければいけないだろう。

マスコミも、イジメという言葉は止めて、今後は、ちゃんと犯罪名で表現すべきではないだろうか。

そうすれば、僅かかもしれないが、学校内での犯罪は減るかもしれない。

日本式の曖昧さは、問題の核心を薄め、つい、イジメくらいとなるのは、いかがなものだろうか。

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2012年7月15日 (日)

菜食主義者の勘違い

動物が生きるためには、他の生命の命を頂かなければ、生きてはいけない。

私も数十年生きているということは、数え切れない程の命を頂いて今日まで生きているということだ。

よく菜食主義者が、私は決して他の生き物を殺めて食しようとは思いませんと言うが、植物と動物の違いはある意味殆ど無い。

植物も動物も、同じ遺伝子で出来ていて、細胞で構成されている。一見植物は、動きがないように思えるが、顕微鏡で見ると、細胞内は、まったく動物と同じように細胞分裂し遺伝子も引き継がれ動いている。

菜食主義者が生き物を殺さず、あたかも良いことをしている様に言う者が一部いるが、これは、間違いである。

人は、いや、生命体はいずれ死ぬのだが、死とは、他の生命の生きることに繋がることである。

本来、私が死ねば、他の生命体に食されるのが、自然の摂理だろうが、今は、焼かれて、煙と灰になるので、あまり他の生命体の、食の足しにはならない。

よく、死にたくないなどと、欲なことをいう者がいるが、どれだけ他の命を頂いて生きてこれたかを考えれば、はい、分かりましたと、逝きたいものである。

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2012年7月12日 (木)

レコードプレイヤー

さてさて、古い物置から、古いレコードプレイヤーが出てきた。

ほこりまみれであり、綺麗に拭き取り電源を入れてみた。

レコードは幸い捨てずにいたので、おそるおそるのせてみた。

モーターの回転はどうか?

メイドインジャパンは素晴らしい。

何の狂いもなく、スリーディグリーズの声が聞こえてきた。

おそらく早くて20年ぶりだろうか?

レコードのバリバリという音は仕方ないが、デジタルばかりの音とは確かに違っている。

ドラムの音が、みょうにリアルである。

レコードの溝を針が走り、振動を音にする、これがやはり音の原点かもしれない。

音はやはり振動である。

少しはまりそうである。

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2012年7月 9日 (月)

百年の命

人間、長くて百年の命である。

百年とは、太陽の周りを百回地球が回ったと言う事である。

もし、今の百年の長さが、ある星では一年、すなわちある恒星を一回まわる長さなら、その寿命はその星では一年となる。

百年が長いか短いか、難しい問題である。

地球環境における、人間の適切な生きる長さが、長くて百年なんだろう。

地球を一つの生命体と考えれば(ある意味生命体かもしれない)、岩とかは、何億年とずいぶん長生きであるが、我々人間より楽しいかどうかは、その長さと比較出来ない。

下らない質問だが、岩として数億年生きるのと、人間として百年生きるのとどちらを選ぶか。

しかし、自我さえなければ、どちらも同じだが、やはり、苦しく悩まなければいけないが、自我のある、生命体でいたいものである。

宇宙においては、無限の時間があり、その中では数億年も、百ねんも、永遠の時の中ではたいして変わらない時間なのかもしれない。

宇宙の成り立ちの中で、他の物質に比べ生命体とは、生まれたその瞬間から、外部から崩壊の攻撃を受け、か弱い存在で、たったの100年あまりでその形を維持出来なくなる。

しかし、生命体は、現実に存在することには間違いはない。

人間百年、いったい何が出来るか。はっきり言って何も出来ない。

今、平家物語の歌に、遊びをせんと生まれてきた。

などと、言う歌があるが、人生なんぞそんなものなのかもしれない。

しかし、この百年、無駄なく使いたいものである。

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2012年7月 7日 (土)

素粒子とヒックス粒子

ヒックス粒子がどうやら発見されたらしい。

ヒックス粒子については前に書いたが、今また見直されて話題になっている。

ある科学者が、ヒックス粒子の大きさを言うのに、一センチ立方の中に京の京乗とかとかとんでもない数字を説明していたが、素粒子の大きさは、素粒子の大きさを10センチの大きさのボールに例えると、宇宙全体の大きさになると言う。

つまり、逆に言えば、10センチの宇宙があれば、素粒子の大きさがボールの大きさになると言うのだ。

ちょっと、人間には想像を絶する大きさだが、比較するとそれぐらいの比較だそうである。

宇宙の大きさも光で百数十億光年かかる広さらしいが、とてつもない大きさと、とてつもない時間の長さである。

時間と空間、無の状態、つまり質量ゼロの状態の空間に、エネルギーが加わると物質になると言う。何も無いところに物が現れるのである。

我々は当然目に見える範囲で生き、見える範囲で判断するのだが、科学が進み、新しい物理学的発見があるたびに、世界観、倫理観、宗教観、が変わっていく。

もし、近い将来、あの世とやらが発見されたら、

まあ、それは皆様の想像におまかせしましょう。

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2012年7月 4日 (水)

イギリス女王エリザベスからの返事

環境問題に対して、幼児教育の大切さ、環境童話の普及の必要性について、私は、各国大使並びに、政治首脳に手紙を書いた。

当然、殆どの手紙に返事は無いのだが、イギリス王室からは、返事が届いた。

イギリス王室では、殆どの手紙に返事を出すそうだが、やはり本当であった。

返事の内容は、イギリス王室が木を植える運動をしていて、同じ趣旨である故云々と書いてあった。

現在600万本植えたそうで、世界各国に協力を求めているそうである。

皆様も、www.woodlandtrust.org.uk を検索すれば活動が分かります。

ニュースに出たが、イギリス王室は、全世界にすでに300万通の返事を送ったそうであるが、なかなか出来そうで出来ることではない。

世論を、大衆を、大切に思い、それが良い政治として今日まで来たのだろう。

政治の先進国、イギリスに日本も少し学んで欲しいものである。

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2012年7月 1日 (日)

生命体と目

地球に生きる生命体が爆発的に多様化し、増えた時期がある。

それは何故かと言えば、目が出来たからだという。

つまり、物を見ることにより、行動が簡単に出来、獲物を捕れ、生活力が飛躍したからだそうである。

動物と植物の違いの一つだが、勿論、動物にも未だに目を持たないものもいるが、やはり目があるとないでは、スピード感が違ってくる。

当然物に対する認識力も違ってくるので、もし、人間に目がないとすれば、今の文明や思考力は無かっただろう。

見えてこそ、言葉が生まれ、文字が生まれ、文明が育ったのだろう。

生命体のある部分に、光を感じる細胞が発達し、それが進化を続け、明暗だけ感じた細胞に、動きを捕らえる機能が付き、とうとうはっきり、物を見ることが出来るようになったのだろう。

私は、畑でキュウリを植えているが、キュウリは、どう伸びようかとツルを伸ばすのだが、悲しいかな、目が無いため、ツルを絡ます場所を何処かに当たるまで手探りで探さなければならない。

だが、しかし、植物も動物と平行して地球で生き続けているということは、目のない生活も、ある意味決して悪いことではないのかもしれない。

まあ、何はともあれ、早く美味しいキュウリを食べたいものである。

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