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2013年2月24日 (日)

春の風

今日は少し風が吹いても、心地良い風でした。

よーく見ると、ツクシが小さな頭をのぞかせていました。

ツクシの坊主が見えます。

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2013年2月21日 (木)

春が近いと思い、春を探しに散歩した。

しかし、今年はなかなか春が遠い様だ。

花粉症の徴候は、若干始まった様なのだが、土筆も見当たらない、いや、よく見つけなかったのかもしれない。

寒い冬であった。

先日も書いたが、自然の対して人は、ただ見るだけで何も出来ない。

寒ければ、服をきてコタツに入り、春を待つのである。

恐竜が一億六千万年栄え、人類が二十万年の歴史があると言う。

しかも、人類がこれほど地球全体に広まったのはほんの数百年前からである。

私にしても、つい最近まで(ほんの数十年前)には、冬に足の指がシモヤケになり、練炭火鉢にまたがって暖をとっていた。

それが、いまやエアコンであり、それでも寒いと言っている。

まあ、しかし、春はやはり良い季節である。

動物である私のDNAは、春を待ち焦がれている。

ただ、近ごろの花粉症にはお手上げである。

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2013年2月17日 (日)

空から隕石が落ちてきた

突然空から大きな隕石が落ちてきた。

地震も怖いがこれもすごい。

巨大地震の時は、人々はただ動けずやっとのことで立っている風だが、隕石の場合も、これはただ空を見上げて、ポカンと口を開けているという風だ。

つまり、人間がいくら偉そうにしていても、自然の前では何も出来ないという事である。

今回は地球を破壊する規模ではなかったが、次はどうだか分からない。

ただ、分かっているのは、人間に出来る事は被害を最小限に抑えることと。逃げる事だけである。

よく政治家や資本家があたかも自然なんぞ何するものか等、言っているが、彼等もおそらく口を開けて空を見上げるか、昔通りに穴に逃げ込むのが精一杯であろう。

人間は空を飛び、薬を創り、機械を創り、地球上では、動物達の頂点にたちお山の大将になっているのだろう。

人は自然に対しもつと畏敬の念と謙虚さを持ちたいものだ。

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2013年2月13日 (水)

人間の道

人間の生きるには、何が必要であるか?

食べ物と生きる環境。

人は生きるために食べるのだが、この食べ物に、上下をつけ、美味いとか何とか言い、果てはそれが生活のステータスになる。

だから食事に於いて、同じエネルギーの摂取の行為であるが、下層上流とでは、その金銭的価値が数十倍になったりする。

環境に於いても、小さな木屋と大きな屋敷と言うふうに、同じ棲むにしても何十倍果ては、数千倍にも違いがある。

しかし、基本的には、全く同じ行為なのである。

しかも、小さな地球上で、ほんの百年の出来事であり、生物学的に人間と言う生命体の生き方としては、おそらく殆ど違いが無く、生まれ、喰い、生殖し、死んでいく。

では何処が違うのだろう。

それは、どう思って生きるかだろう。

物理的には違いなくとも、どう思うかは千差万別である。

金持ちが幸せと思うのは浅はかであり、貧困もそうである。

ある宗教者が、痛みや苦しみを善とするように、心持ちしだいである。

物理的欲求も良いが、これには限りがない。

精神的な欲求は、自己満足であり、思いこみだけでよい。

出来るものなら、どんな状況でも、心は楽しく生きたいものである。

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2013年2月 3日 (日)

人の役目

人には何か役目がある。

前にも書いたように、人間は60兆個の細胞で出来ていて、勿論最初は一つの細胞だったのだが、それが分割しそれぞれの役目を果たす部位につき、その役目を果たす。

だから、人間をある一つの生き物とすれば、人はそれぞれに何かしらの役目がある。

有る者は、何故か出世し金持ちになり、良い家庭を持ち幸せになり、有る者は、貧乏で病気で最低の生活をおくり、有る者は政治家になり世の人間の動きを決める。

このように、全体をバランス良く動かし、人間社会という生き物を創り出しているのかもしれない。

すなわち、人間の細胞のどこの部位も必要なように、人も全体が一つのくくりであり、どの人間的要素も必要なのだろう。

ただ、同じ何処かに属すなら、よりよい位置に付きたいものである。

しかし、私は一体どこら辺りの部位に付くよう神様が決めたのやら。

やはり、ほどほどか?

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