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2014年6月28日 (土)

勝負をしない若者達

最近の子供達は出世を望まず、そこそこの生活が良いと言う。

徒競走で手をつないで走ったり、順位をつけない教育の弊害らしい。

人と人の衝突を避け、喧嘩なんかはもってのほかである。

しかし、現実の社会は、弱肉強食の原則はなんら変わっていない。

義務教育期間に、ジェンダ教育とか、平等社会など、空想の社会を教えられて育つと、草食男子などという困った人種が増えて、気力のない若者が増える。

要するに、雄らしい男の子が少ないのだ。

だが、よくしたもので、反対に確かに覇気のある女の子が増えているのは、間違いない。

勝負を避けるのもよいが、世界の中を生き抜くには、勝負に勝たなくては生き残れない。

勝とうと思わないと、人間の進歩はないのである。

目をキラキラと輝かせた若者が増えて欲しいものである。

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2014年6月24日 (火)

シャボン玉と命

シャボンを膨らませると球体をつくり、暫くするとはじけてしまう。

ビッグバンから始まった物理の法則である。

シャボン玉は、その形状を維持するため表面面積の最小値である球体を創る。

それは生命を作り出した最初の膜状球体と同じ原理であり、その球体を少しでも長く維持するために、球体内に色々取り入れ、またそれが多細胞になり、より長く維持しようと今日の生命体となった。

シャボン玉は、時間という変化が無ければ永遠にはじけないのだが、当然時間と言う変化の前でその形状が維持できなくなる。

物体と言うものは、生まれた瞬間から崩壊までの時間の秒読みが始まるのだ。

ただシャボン玉が消えいく短い命と違い、人の命は少々複雑だ。

しかし、あくまで基本は同じなのである。

今日山を歩いていて、新緑の中、木のつるが上へ上へと伸びているのを見、野に生きる命は、必死に少しでも大きくなろうと命の火を燃やしているのだと思った。

原始的意識の起源は、私のホームページに記しているが、60兆個の細胞からなる自分の体の、頭脳としては、消えて無くなるまでの100年の間に何をすれば良いのか、悩み多き100年である。

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2014年6月18日 (水)

生きる時間

時間というのは、人間の決めた単位であり実際は世の中には無いものである。

生きている時間と言うのは、過去は勿論終わったことだが、今と言う時間は一瞬にして過去になるのでなかなか時間と生きる事は、相関性を導き出すのが難しい。

時間とは、あって無いようなものになるのだが、かろうじて先は全く不明確だが、未来はあることは間違いない。

未来は有る事は分かるのだが、悲しいかな人間の寿命は百年そこそこなので、まさに宇宙的にみると無いに等しい時間である。

生きる時間に、何をするか、おそらく何をしても最後は分からないままで終わるのだろう。

分からないでも幸せに生きるように生き物は出来ているのだが、どうも人間は、あえていろいろ苦労して、食えるのに自殺などしてしまう。

人間以外の動物の様に、ただ生きていくだけで満足を感じたいものである。

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2014年6月12日 (木)

買電自由化の落とし穴

電気を自由に買える様になった。

また揃ってマスコミは、安くなり良いことだと言う。

現在の制度では、僻地の一軒家であっても、数千万円の費用をかけて電信柱に電線をひき、電気を供給するのだが、自由競争になり、価格の競争になると、こんな儲からないことをする電力会社など無くなるだろう。

都会の近くで、輸送コストを抑えた電力会社が安く売れるだろう。

二酸化炭素問題にも対処しない安い電気が売れ、経済的には一見良い様にみえるが、こんなことをしていると、どっかの国を笑えない国に成り下がってしまう。

日本のマスコミの連中は、どうしてこんな事を言わないのだろう。情けなくなってくる。

エネルギーの問題は、国家的に計画し、運営すべき事だ。

アメリカでは、自由化により大都市の停電もおきている。

おそらく、都会では電気は安くなるが、僻地では当然高くなるか、下手をすれば供給を止める会社もでてくるだろう。

自由化も必要だが、日本の様に契約社会が充実していない国では、どうしても切り捨てられる者が出てくる。

自由化には、必ずそれなりの弱者への担保が必要だ。

また、少し住み難い国になった様である。

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2014年6月10日 (火)

広がるネット犯罪

女子高校生がネットで知り合った男に殺された。

最近こんな類似した事件が増えた。

20代の女性の半分以上が、男性とつき合っていないと言う。

世の中のバーチャル化が進み、実際の体験する事に、若者達が尻込みををしているようだ。

子供の過保護化が進み、傷ついたり、失敗する事を恐れる者が増えているのだ。

メールにしても、ほんの少しでも返事が遅れると、友情を疑うそうだ。

友情とは、喧嘩し、泣き、笑い、ともに傷つき、育まれるものだ。

ネットは、あくまで仮想であり、勝手に思い想像していると、現実はとんでもない者を相手にしていても分からない。

生きる事は、そう楽ではないのだ。

生身の人間と見て話し、触り、それで人間関係が成立するのである。

ネットも必要だが、過度の依存は判断を間違える要因になる。

若者には、気をつけて頂きたいものだ。

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2014年6月 1日 (日)

仏陀

仏陀は生きることは、苦悩であり、それをどういう考えかたで良いものにするか悩んだ。

はじめは苦行し、何かを得ようとしたが出来ず、考えを変え、有るがままに生きることにしてみた。

頭の中を空っぽにし、自然に逆らわず素直に生きる。

早い話が、人間何を悩もうが、どうしようが結局何も分からないのだから、それしかないと気づいたのだろう。

頭を北にして、顔を西に向け、右手で手枕をし、涅槃になりたいものである。

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