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2015年4月28日 (火)

植物の感性

全ての生き物には感性があると思われる。

もちろん人間が、その数ほど感性があるように、植物もいろいろあるのだろう。

植物も間違いなく多細胞生物であるし遺伝子も同じものを持っているのだから無いことはないだろう。

ただ、人間は思い上がり、特別だと信じている者が多い。

植物には目が無いので周りのものをどう認識するのだろう。

花に群れる蜂をどう認識するのだろう。

太陽や雨をどう認識するのだろう。

きっと何かを感じることは間違いない。

私が思うに、意外と賢いかもしれない。

よく植物を生き物と認識しない人間がいて、私は生き物を殺生せず菜食主義ですと言うが、植物も立派な生き物だということを知らなければいけない。

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2015年4月24日 (金)

人生の花

野に咲く花は、春に多くの花をつける。

冬を越して、新芽の青々とした時期を終えると花をつける。

人生に例えるなら、青春の時期になるのだろうか。

植物の花の時期が僅かな時間しかない様に、人生の花の時間も僅かなのだろうか。

生きるものは、この僅かな期間の為に全能力をかける。

それは、生きるとは自分たちの命のバトンを引き継ぐことだと、はっきりとした使命があるからだ。

しかし、人間の場合、花の時期は同じ様に短い筈なのだが、あいまいである。

人生の一番華やいだ時期は短く、多くの花を求めてはいけないのだが、人間はなかなかどうして、いつまでも咲いていたいのか、多くの花を求め続ける。

強欲なのだろう。

無から無へと移行するだけの短い生だが、人は多くを求める。

その点、野に生きるものたちは、よく分かっているらしく多くを求めず、伸びやかに健やかに生きているようである。

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2015年4月12日 (日)

星加勝久、星加家芭蕉と羅空

私の友人、いや親友が73歳で死んだ。

彼とは30年以上前に病院で知り合った。

不思議なもので病院に入院していると互いに利害関係が無く、まるで学校の同窓のように親しい関係を持つことが出来るのだ。

彼とは考えが良く似たところもあり、話が合い、互いに理解出来る数少ない人間だった。

彼の夢は陶芸を通して、一寸した芸術家村のようなものを創ることだった。

バサラ房、食房などを備えた場所である。

発想から数年後、甲奴の山に古い農家を見つけそこで第一歩が始まった。

私は大工道具を手にし、二人で農家を修繕して住めるようにした。

重機で農地を埋め立て窯場を創った。

私と彼は窯を作るのに、工場の古い解体する耐火煉瓦をもらうため、真夏の暑い中真っ黒なすすの中で煉瓦を解体しトラックで運んだ。

今までにその時ほど汗をかいたのはそれ以来無い。

まさに滝のように汗が出た。

その様にして、甲奴の山にまがいなりにも建物が出来上がった。

その時星加に請われてつけた名前が工房、羅空である。

羅空の意味は、空に網をかける、という意味である。

すなわち、形の無い空なるものに網をかけ取ろうというものである。

物事の本質は、形ではなく目に見えないものこそ大切なのである。

物質は時と共に消えていくが目に見えないものは永遠なのである。

それには愛とか、感情、また星加が人生の後半行っていた気功もそうである。

元来、物つくりの場所であったが、彼はなかなか焼き物を焼かず、もっぱら仙人の様に人に哲学を説いていたようである。

考えてみると、まさに最初につけた名前の羅空の園になった様だ。

幸いなことに、60歳を過ぎ彼には子供ができた。

二人の男の子である。

彼も千の風になり、子供たちを見守ることだろう。

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2015年4月 6日 (月)

病人だらけ

先般、身近な人々に不幸や病気が多いと書いたが、今度は、妻がばね指とやらになり、組合執行部の会計部長が盲腸炎である。

今年は、年明けそうそう病人だらけである。

幸い自分は、今のところ健康だが気をつけねばいけない。

今日また100枚ほどの作品を投稿したが、如何だろうか。

筆名を、面白半分で大空マサキとした。

マサキさん、大空へ飛んでくださいね。

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