星加勝久とわたし
彼が亡くなり49日の法要が終わった通知が届いた。
彼とは前にも書いたが、病院で知り合った友達だ。
あれから30年余り過ぎ、彼と甲奴の山で陶芸窯や農家の修理をしていたころが懐かしい。
60を過ぎ子供が出来て、子供を背負いオシメを干していた、星加の笑顔を思い出す。
彼が末期の癌だと聞いた次の日に死んでしまった。
私は彼に、見舞いにとっておきのコロンビアナイフをプレゼントしようと思っていたが、渡すことが出来なかった。
十数年前に、ゾウリンゲンのナイフを持っていったら、ナイフを持ったまま子供のように寝てしまい、でもその時は、持って帰ったが。数年後には、彼に渡した。
私も彼も良い道具が好きなので、気持ちがよく分かっていた。
星加もほどほどに、焼き物を作り、多くの作品は出来なかったように、私も今のところ、出版物は二点、大きな玉子と光の玉子の童話だ。
二人の似たところは、未だに子供ぽいところだろう。
夢を未だに追い続けるところだろう。
少なくとも、星加の死んだ年までは、物書きであり続けよう。
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コメント
そのナイフはいつも見える
ちょっと高い所に大事に置いてありました。
子供が興味を持ち始めたある日、
長男にあげる約束をしていました。
その時、
どこから来たのか、
どのように素敵なのかを
わかるかわからないか定かでない年の子に
嬉しそうに語っていました。
そのナイフは将来渡すと約束したままです。
私が大切にしまっています。
良いもの美しいものを大切にしていた
芭笑さんを愛おしく思い
大切にしてくださる親友がおられること、
私たち親子は誇りに思います。
投稿: 星加りえ | 2015年6月 8日 (月) 20時58分