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2015年6月25日 (木)

京都の学生運動

若者達がラップの音の合わせて戦争反対を訴えている。

自分の思いを行動に移す事は良いことである。

しかし、平和を守るために憲法を護れというのは少し難しい。

隣に鉄砲を持ったオヤジが、殺してやると言って来たとき、素手ではやはり何も出来ない。

口で何を言おうと、約束の書類があると訴えようとどうにも止めることは出来ない。

止めることが出来るのは、それ相応の武器と力が無ければ食い止められない。

何時の日か、人間がとても賢くなり、戦争などと言う言葉さえ無くなる日が来れば良いのだが、おそらく早くても後数百年はかかることだろう。

デモが出来るのも、自由主義のアメリカに守られているという現実を理解しなくてはいけない。

平和を守る為には、理想ではなく現実的に何をすべきか、よく考えたいものである。

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2015年6月19日 (金)

戦争と平和

世の中の殆どの人々は戦争に反対である。

中国にしろロシアにしろ反対の筈である。

だがどうしても戦争、諍い、喧嘩、揉め事、暴力ざたが起きる。

多分、人間が人間である内はなくなることの無い性かも知れない。

人は戦争反対と言って、政府と戦う。

人がグループに分かれている間は、それが一つになるまで永遠に続くのだろう。

戦争は無いのがいいのだが、ある以上それに備えなければならない。

平和を維持するためには、今の人間の思考レベルでは悲しいかな強くなければやられてしまう。

学校でイジメを無くす事が出来ない様に、弱いと思われるとイジメられるのだ。

日本がイジメられなくするには、やはり強くなるしかないのである。

私は自然環境の健全化と、資源の有効活用のためにも地球に合った人間の適正人口を推奨したいが、資本家や政治家は未だに人口の増加を望んでいる。

世界の人口が十分の一になれば、現代の科学力があれば、おそらく随分棲みやすい地球になるはずである。

だが、どうみても今のところ、そんな政治家は出てきそうにない。

悲しいかな、今の人間のレベルでは、平和を維持するために軍事力を強くするしか選択肢はなさそうである。

ただよく、学者達が、平和条約とか国同士の約束書があるではないかと言うが、人類の歴史において、戦争になればただの紙切れになることを忘れてはいけない。

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2015年6月10日 (水)

ひとの心

寂しいことだが、ひとは見かけや地位でひとの値踏みをしてしまう。

同じ言葉でも、地位や人気者のタレントの言葉は、金言として拝めるものだが、無名の人間の言葉は戯言になってしまう。

今日の様に、テレビ人間が増えると、テレビでこう言っていたよ、とか、タレントのだれだれが言っていたから間違いないとか、一度も実際に会ったことも無い人間の言葉を鵜呑みにする。

話と言う物は、会って顔を見ながら話してこそ心が通じるのだ。

日本には清貧と言う言葉がある。

西洋でも、キリストの生き方は清貧と言う言葉が使えそうである。

どこの宗教でも、心の清らかさや平穏は物欲とは両立しない。

しかし、ひとは身なりの貧しい人は、駄目な人と決めたがるものだ。

ひとの真の心を見極める、良い目を持ちたいものである。

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