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2015年7月31日 (金)

変わった人々

よくあの人は変わった人だとか、自分は変わっているとか言う。

ある日のこと、自分以外はみんな変わった人なのよ、と初老の女性が言っていた。

当たり前の事だが、その言葉が妙に心に残った。

人は、ある時には自分は特別な変わった人間だと自負し、逆に、相手が理解に苦しむ行為をするとあの人は変わった人だと、非難したりする。

しかし、宇宙的に見れば、人間はほとんど良く似た考えの、人間という種になるのだろう。

つまり、変わっている様に見えても、ジャングルの奥地に棲む原住民と、先進国の住民が生殖することが可能な様に、生活様式は違っていても、根本は同じなのである。

確かに個々は違って見えるが、おそらく殆どの人々は、根本はそっくりな生き物だと思う。

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2015年7月26日 (日)

泣いて生まれる

よく例えに言われる事だが、人間は泣きながら生まれてくる。

要は人生というものは、辛い事の始まりだと言うことである。

しかし、面白い事に、例えば二人が同じ二百円のお菓子を食べたとして、一人はいつも高いお菓子を食べる金持ちの子供、片方は貧乏でお菓子などめったに食べられない子供だとすれば、同じお菓子を食べても、まったく違う感想を持つことが想像できる。

つまり人間は、同じ行為をしても、心の持ち方で、幸福にも不幸にもなれるということだ。

昔から仙人とか、修行僧は物欲を禁じることにより、生の真理に近づこうとした。

私の好きな言葉に,有無同然という言葉がある。

有れば、無くならないようにと心配し、無ければ欲しいと心を痛める、どちらにしても物欲に振り回されているうちは、心に安らぎが無いということだ。

同じ生きるなら、馬鹿になり,何事も良いほうへ解釈したいものである。

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2015年7月20日 (月)

ロボットと自我

私はロボットの機能を、ほぼ人間に近いところまで近づけると、自我が生まれると理論的に思っているが、ある時、東京大学の脳科学教授池谷さんと話す機会があり、彼も同意見だということで、話が合った。

つまり、人口知能に学習機能を与え、それに手足や眼球等の五感を付ければ自然会において同じ条件なららば、当然自我が芽生えるというものである。

ロボットが自我に目覚めると、当然自己保存意識も生まれる。

よく映画などで、ロボットの機能に、人間には絶対服従とか、人間の命を第一にする機能とかをプログラムするから安全である。などと問題なさそうに言われているが、自我に目覚めた場合は、大変な問題になる可能性がある。

ターミネイターではないが、機械が自己保存のために人間を敵視する可能性があるのだ。

今、私が書くと嘘っぽく聞こえるが、間違いなくおそらく数十年後には、ロボットの自我について政治的に行政府が動く日が来る事だろう。

自我とは、宇宙の中に自分という唯一無二の存在を意識することである。

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2015年7月15日 (水)

死に急ぐ人々

日本は世界的にみて自殺者の多い国だそうだ。

世に生きる人々のほとんどはよい人なのだが、必ずどこの集団にも意地の悪い子悪党がいるものだ。

子悪党というものは、強いものには従順だが、弱いものいじめが仕事のように他人を傷つけ、私は理解できないのだが、喜んでいる。

おそらくこの習性は人間の社会性における、本能的なものなのかもしれない。

他人を死の選択に追い込むほどの窮地に追いやるいじめは、なかなか是正されない。

いじめという、弱いものに対する攻撃は、勿論子供だけではない。

人間の悪い面を持った子悪人が、生活する周りにいると、人は世の中に絶望する。

死を選ぶくらいなら、是非、最後に一度生活環境を変えてみることだ。

新しい町、新しい職場、新しい学校、それとそこで強い知り合いを作ることだ。

子悪党どもは、強いものには原則手を出せない法則だからである。

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2015年7月 4日 (土)

新しい挑戦

定年が近いというのに、国家試験を受けることにした。

そう難しくはないだろうが、小遣いを数万円使うことになる。

まあ、夜の街で呑みに出ることを思えば安いものだろう。

第二種電気工事士という試験だが、元々私は電気には強いので参考書もわりと理解できる。

自分の子供と共通の課題を見つけて挑戦してみようと、思い決心した。

筆記試験は10月3日だが、さてさてどうなることやら・・・・

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