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2015年9月25日 (金)

免疫力を上げる方法

近頃身の回りに癌になられた方が多く、よく免疫力の話になる。

私の知っている方法は主に三つある。

昔からある方法で、熱い風呂に入ることだ。

老人が熱い風呂に入るあれである。風邪をひくと体温を上げ免疫力を増そうとする行為で、体温が一度上がれば、免疫細胞も数倍活性化するそうである。

もう一つは飢餓細胞の活性化である。

生命体は飢餓状態になると、細胞がその状態に対応するため、免疫力を活性化させるのである。

それも、生命体が生き残るための自動的にスイッチが入るシステムである。

もう一つは、筋肉内にある、免疫力である。

最近の研究で筋肉内には強い免疫作用があるので、ほどほどの筋力をつけることは免疫力アップにつながるそうである。

しかし、よくよく考えると、野生に近い生き方がどうやら免疫力アップに通ずる様だ。

野生動物が怪我をすると、暫くはエサも食わずじっとして体の回復を待つのも理にかなっているとのことである。

これは、病気の時、食欲が落ちることと同じらしい。

つまり、週に一度くらい一食抜き、熱い風呂に入り、ほどほどに運動せよと言うことである。

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2015年9月23日 (水)

風に吹かれて

風に吹かれて

これは九月十五日に脱稿した短編小説の題名だ。

借金苦のあげく遠い地でルンペンになり、ある事件により、再び社会生活に戻るという話である。

ルンペン生活という、最低の暮らしは、ある意味宗教家の生き方でもあるが、根本的違いは、物欲があるか無いかの違いが主になると思う。

世間的評価を気にしない生き方は同じだが、ルンペンになっても美味いものは食いたいし、あわよくば金も欲しい、しかし、ルンペンは、諦める気持ちでそれを打ち消し受け入れる。

宗教家は、物欲を消すことを望み、無欲になることを喜びとする。

一見、乞食を乞いぼろ服をまとっているので似ているが違う。

ただ、身なりと精神はある意味似てくるという原理があり、ルンペンもそれなりに人生の達人的要素もある。

昔、私の知人で元ルンペンを一年していたという人物をヒントに書き上げた。

短編だが、一応、公募に送付したが、どうなることやら。

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2015年9月15日 (火)

戦争反対

私は戦争は勿論反対である。

家族を戦争に巻き込まれることは絶対に避けたいものである。

今、野党やマスコミは、安全保障法案を戦争を起こす法案だと歪曲し、それを政局の道具にしている様だが、よくその法案の目的を知って欲しい。

この法案は、戦争を起こさない為の法案であり、万一おきた時の、国民を守る為の法案なのである。

この法案が、通らないことを喜ぶのは、どこの国かよく考えて欲しい。

政府がどうして、世論の逆風に逆らってまで使命感を持って法案を通そうとしている意味を分からなくてはいけない。

政府が世論にすりより法案を撤回するのは、どんなに楽で簡単で、そうすれば、無責任な野党やマスコミは喜ぶだろうが、それをしない政府の行動の意味を考えなくてはいけない。

日本を守ることは、簡単ではない。よく学者達が言うように、条約とか約束があれば大丈夫と言うが、そんなことは過去に何度も破り捨てられ、力のある者が法律を作り、敗者はそれに従うだけなのである。

日本を守るためには、何をすべきか、抽象的に反対するのではなく、具体的にどうすればいいか考えて欲しいものだ。

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2015年9月11日 (金)

長生きの秘訣

長生きの秘訣の一つに、積極的に明るく生きる事があるそうだ。

当たり前の様だが、ここの所に遺伝の要素が絡むらしい。

つまり、明るく生きる性格と暗い性格は遺伝的に50%決まるそうだ。

しかめ面の家は、代々そんな顔になるらしい。

また、多くの人と関係を持つ、友達を多く作ると、幸福感が増しこれも長生きの要素となるそうだ。

統計学によると、友人の幸福は9%自分も嬉しくなり、反対に不幸な感情は、7%やはり悲しくなるそうだ。

すなわち、その2%が重要で、友達が多ければ、総合的には2%×友達の数となり、幸せになるらしい。

私もこれからは、大いに友達を増やしたいものだ。

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2015年9月 9日 (水)

教祖の示す幸

宗教家の教祖達は、殆ど清貧である。

つまり、物に対する欲を持たないことが幸せになれる入口なのだ。

殆どの動物は、物に関しては食い物以上のものは欲しない。

しかし、人間は、社会生活を送るようになり、その組織が大きくなるにつれて、多くの物を欲しがる様になった。

今現在でも、ジャングルの未開地の原住民は、多くは欲しがらず、小さな弓、金属の斧とか素朴な、生きるための道具で満足なのだ。

自分の周りを見てほしい、なんと物の溢れているいることか。

生活に必要な物は、充分以上にある。

だから、人はとんでもなく大きな物を欲しがり始める。

金持ちが幸せかと言うと、そうでもない、自殺する者も沢山いる。

私の好きな言葉に有無同然と言う言葉がある。

物が有れば、無くならないかと心配し、無ければ無いと欲しがり心を乱す。

有っても無くても同じと言うことなのだ。

先に書いた清貧と言う言葉が日本にはある。

貧乏だが心の清い生き方だ。

私も心がけたいものである。

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2015年9月 6日 (日)

国を追われる人々

自分の住む国が弱いと、難民になり国を追われる。

強すぎるのもいけないが、国を守る一定の軍事力が無いとシリアの難民の様になる。

ものには順序というものがある。

国がしなければいけないことは、国民を守ることである。

先ずは国民を守り、それから法律と、なにがしをしなければ、国が攻撃された後で、何を言っても後の祭りである。

しかし、どうも平和ボケというか、法律を先ずは守れと言う、法律は守らなくてはいけないのは当然であるが、政治というのは、現在に今、その時に対応するのが政治である。

約束事や法律を守れば、誰も攻撃してこないなどということは、未だに人類の歴史の中では出来難い課題である。

戦争が起きるときは、強い国が必ず難癖をつけ、弱い国を窮地にたたせ、反抗したところを叩き込むというのが常である。

その時、約束事の紙切れなどなんの効力も持たず、ただ力の強いほうが正義になるのである。

国を守る事は、自分だけは、自分の子供だけは、といったものでなく、もし、鉄砲で撃たれたら、自分でどうしたら良いかという、誰も逃げられない、現実的な問題なのである。

もし隣国に攻撃されたら、あなたはどう守り、どの国に助けを求めますか?

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