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2019年4月27日 (土)

日本が嫌いらしい新聞社

ある新聞の一面に、天皇家の騒ぎをはやし立てる記事を書いている。

何が目的なのだろうか。

日本がもめた方が、嬉しいのだろうか。

どうもここの新聞社は、隣国の味方をしたり、編集者は他国の者かと疑いたくなる。

これだけ成熟してきた国である、そろそろ現実的な建設的な新聞社になつては如何と思う。

同じ日本人として,寂しい気持ちになる。

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2019年4月25日 (木)

多田公煕さんお別れ会

私の良き話し相手の多田さんが亡くなった。95歳である。

戦中派の話し相手が亡くなることはとても寂しいことだ。

戦争を体験した人は、戦時において本当に命を賭した生き方をした経験があり、言葉に重みがあった。

戦後生まれの私が、いくら論議しようとも、命を懸けた生き方をした彼の言葉には信があり誠があった。これにはやはり勝てるはずない。

私は90歳過ぎた彼に、あえて死生観の話をした。

戦中派の彼は、多くの方がそうであるように、死んで逝った戦友に対して生き残った自分という気持ちを持たれていた。

だから、死は怖くはないが、少しでも長く生きて、日々新しく変わっていく世のなかを見ていたいと言っていた。

それと、多田さんに、自然の多いい我が団地を散歩中に、最近、時々道端に咲く花や木々に一体感を感じる時があるんですよ、と言うと。

多田さんが、僕は感じることが普通に多いいいよとのことで。

私は、多田さん、私は、まだまだですねと、兜を脱いだ。

多田さんは、前記したように戦友のことを気にかけておられ、太平洋の慰霊参りに行きたいと言われていたが、それは十年近く前に行かれていた。

ただ、ハワイの天文台へ行く夢は、高齢のためかなわぬ夢になった。

私と多田さんと最後に会ったのは、暮れの大みそか31日である。

私はこの十数年、餅をついて多田さんに持っていくのを恒例にしていた。

その日も、ホームへ餅を持っていくと、すまんねと言って、何も返せんなあと気遣って言われていたが、

多田さんには世話になっとるし、歳の離れた友達だからと、笑って答えた。

多田さん、何かしとる?と聞くと、

おお、俳句を毎日作るようにしとると、答えていました。

多田さん、小さな手、結んで歩けば、道楽し。これ、私が昔作ったじゃけどどう?と聞くと。

いつもの様に、聞き上手、ほめ上手の多田さんの褒め言葉が返ってきた。

お別れの会には、広島の財界、他県からの要人達が沢山集まっていました。

偏に多田さんの人望でしょう。

その内、私もそちらに行くので、その時はまた良き話相手になって下さい。

ご冥福を祈ります。吉藤 正樹

 

 

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